藤田嗣治展 at:東京国立近代美術館

mimic-yk2006-05-14

 母を連れて行く。込み込み。人だらけ。なかなか正面から見ることができない。(誰だってじっくり見たいんだもんなー。今までも、これからも、いつ観れるかわかんない絵)落ち着かないので画風を味わうところまで行けなかった様な気がする。
 そんななかで、極薄のトーンや質感と、黒く塗り潰された女性の瞳の(ペールトーンの上でどぎついほど黒い)対比、戯画化された猫や子供たちの、妙に生き生きとしたいわくありげな表情が、いつまでも印象に残る。(私は彼らの仲間に加わりたいのだろうか…。)
 母所有の、60年代の東京生命のカレンダーに載っていた絵(eve)は無かったが、実物が見れて本人は満足そうだった。子供の頃にその絵を見たとき、現実とは別に絵の中の世界(裸の女の人が動物達と一緒に暮らしている世界)があって、じっと見ているうちに自分もその中に吸い込まれて(定着されて)、戻って来れなくなるんじゃないか(絵から出られなくなるんじゃないか)、と思い、見るのが怖かったんだよなぁ…。(神社の鏡みたい)
 何れにせよ、少し落ち着いて、画風や登場人物のデフォルメ、表情の変化について考えてみたい。 (5/21まで)


□所蔵作品展(近代日本の美術):4F〜2F
 適度に人がいる状態。普通に観れる。教科書で見たことのある作品をいくつか見つける。なぜかkleeの絵もある。(私はkleeの絵が好きなようだ。)
 もっとゆっくり見た方がいいのになぜか急いでしまう。ひとつの空気、ひとつの空間、一人の人の色々な作品、という見方ではないので、掴みきれずに終わってしまった。(個展の中心に置かれそうな作品が多いのに)
 藤田作品を観た後なので、油絵の色浮き(厚塗り)をうるさく感じ、絵が覚えられない。印象に残ったのは東山魁夷古賀春江岡本太郎の絵かなぁ…。(岡本太郎だって薄塗りなんだもんなぁ…。)鴨に喰いついている猫の彫刻は誰だったんだろう…。そして高村光太郎ナマズがじわじわと存在感を示し始める。
 現代美術に興味のない母が2階を嫌がっている。私は荒川修作作品の前で立ち止まってしばし考え込む。