小中学生の時にいじめられた自分
先月?「いじめ」で自殺した小中学生の遺書なんかが公開されていた。
私は全文は知らないが、遺書に自殺の理由は書かれないのだな…と思った。
「お別れの手紙」は寂しそうで、親や世間に気を遣っているような…いや、内容なんて無かった。
遺書で名指しされた人が気にするのは、死んだ人のことではなく、自分のことなのだろう。
私は自分が小中学生の時にいじめられた事や、バカにされたことなど、自分のことばかり思い出してしまった。
私は、「大人っぽい人、運動が出来る人はずるい。私が居ない方がまるくおさまるんだ」と思っていた。
私は努力しても、「クラスで最も斜めけんすいが出来ない女」なのだった。
普通にしているとやる気が無さそうに見られ、とてもショックだった。
胸が薄くて頭が大きい(というよりは運動神経が鈍い・体が硬い)ようで、「どうしてできないの」「動きが変」というのがしょっちゅうあった。(テニスボールは打ち返せません)
体育で転倒したら、先生がとんできた。(吐くと危ないらしい)
多呼吸にもなった。修学旅行で吐いた。
体を鍛えたい…というよりは雑念を追い払いたくて、剣道をやっていた。(部活が終わったら突然テストが<一番>になったけど)剣道は運動が激し過ぎたかも知れない。竹刀に振り回されて終わってしまった。球技が苦手なのは上半身が弱いからなのか?
部活は、バドミントンや弓道、変わったところではフェンシング等があったらそっちに入ったのだと思う。(何故か卓球も苦手)
だから、「いじめられる側にも問題がある」という言葉には正直ムッとして、まだ言ってる、と思った。
問題があるならいじめてやれ、というふうにならないだろうか。
いじめの原因ってはっきり言語化できるのだろうか。
私が持っていたくしや筆箱か?
そうではなく、私が持っている、ということで、それらが憎らしく見えるらしいのだが。
くしをプールに投げ込まれ、ふでばこを壊されたことを皆や先生は知らないが、「弱くていじめられた」ということだけは知っている。
実は、私よりもっと「弱い」人がいて、確かに体も気も弱そうで、その人は「いじめ」のせいで転校してしまった。(私は、その人が何をされていたかを覚えていない)
何故いじめられる(バカにされる&セクハラ)のだろう。
本人的には普通にやっているのに、いくらか可哀想に見えて微妙におかしい。がんばると余計おかしい、というところか。(キモかったのか?)
「いじめっ子」は不真面目なのをカッコイイのと勘違いしていて、要領がいいようでいて出来が悪かった。
がんばってもせいぜいのろまで暗そう、それなのに最後には先生にほめられる私を嫌って、バカにしていた。(私は優等生だったことが無い)
私は、彼(女)らに、私を好きになって欲しかったが、意地悪をされ、壊れた。頭にきたが、自分は、暴力を振るってしまったらおしまいだと思った。
私は彼(女)らを信用しなくなり、軽く扱うようになった。
YにもTにも神経(集中力)の続かなさや、どうしようもなさのようなものを感じた。自分にもそういうところはあったが、他人に当たった事は無い。
ひょっとしたら、YもTも、私より弱かったのかもしれなかった。…でも2人とも真面目に考えてなかったから私のことはどうでもいいのだろう。部活も、やめてしまったようだった。
私は、中学時代は、もっと広い世界が欲しかった。
現物を見なければ地図だってわからないような気がした。
スカートの丈を測ったり、持ち物検査をしたり、「中学生らしく」というのをやめて欲しかった。
とてもストレスになった。「いじめ」みたいだ。
話が広がるようだが、嫌いな(飲み込めない)食べ物を、食べるよう強要するのも、いじめなのではないか、と思う。(すると保育園のときは毎日、脱脂粉乳に苛められていたわけだが…私はあの気持ち悪さを今でも覚えている…やはりたまに吐いた)
楽しかった思い出や、雰囲気が良かったことより「いじめ」(違和感)の印象の方が強烈で、たまに昔に戻って考えてみても、自分の中で決着がついていない。
「いじめ」に関する言葉を聞いていると、生きることがつらいんじゃなくて、つらいのは身体(神経)と生理現象、ていうか病気だという気がする。
いじめと戦争の因果関係とか…。
言葉の不思議、「こころ」が器官じゃないこと(昔は内臓だったらしいけど)死ぬと私が無くなる事、等も考える。
「大人」なんかに相談しないで「デミアン」とか読んだ方が…でも役に立つのかなぁ。